習慣の変容
突然ですが、抹茶がおいしい。煎茶では飽き足らず、抹茶を飲み始めた。
とても美味しい。
今日は激しい雨風のあと、ふっと晴れ間が広がって、非常にきれいな青空が広がった。
こんな薄汚れた大都会のなかにも、こんなにきれいな空気があるのかとしみじみ感謝しながら、抹茶を啜る。
近くにお茶用品店があったので、一式衝動買いしてしまったのがきっかけだ。
今では自分で茶畑を持ち、納得の行く抹茶を栽培してみたいとまで思うようになった。
抹茶の栽培は、結構手間暇がかかるが、その分出来上がったものはとても美味である。
昨年着物も手に入れたことだし、これからは無形のものが栄える時代だと思うから、茶道をやってみても良いかもしれないと思っている。
なんで緑茶を飲むようになったのか...
昨年山形で日本のよき品々を探して、そこで見つけた急須を持て余していて、使いたいと思っていた。
COVID-19に緑茶が聞くという噂が回ってきて、まあ仮に根拠がなかったとしても、緑茶が身体に良いのは結構知られていることだし、この際常用してみようということにした。
実際、このウイルスが発生しなかったら、緑茶を主飲料にすることはなかったかもしれない。
ことの真偽がどうであれ、茶を飲むに至った流れには感謝している。
ついでにというか、肉も魚も食べたくなくなってきて、おまけというか、ほぼ完全に肉魚を絶った。
乳製品と卵は食べているし、だしにカツオや鶏ガラスープのもとを使うことはある。
別に、宗教上の理由というわけではない。単に、食べたくなくなったのである。
産業を応援したいとか、付き合いで、ということであれば、食べても良いし、食べられないわけでもない。
ただ、ラーメンのスープとか、プリンのゼラチンとか、豚の骨だったりが成分かされているものを食べると、非常に眠くなることに気づいた。
散歩以外で外に出ることは無いのだが、頭脳労働にも菜食生活が大変都合が良いという発見も得た。
酒も無いなら無いでええやん...と思うし、タバコも吸わないから大変健康的な生活が洗練され続けている。
ここ1ヶ月ほどで、なんだか体質が変わりつつあるのを感じている。まだ始まったばかりという感じではあるが...
ひどいハウスダストアレルギーがあったので、毎日モップがけと雑巾がけを日課にしている。
今まで溜め込んでいた膿のようなものが出ていくようなプロセスを経験している気がしていて、あと数ヶ月したらどうなっているんだろうと楽しみである。
お茶、菜食、掃除...これらは祖母によるところが大きい。
私の祖母は脳梗塞で倒れるまで、本当にピンピンして記憶も鮮明だったし、毎日自分のことは自分でやり、農作業もやっていた。齢90になる。
祖母は菜食中心の生活をし、日の出とともに掃除を初め、毎日洗濯をし、整理整頓が行き届き、生活にハリというか、良い意味で緊張感があった。
私はよく部屋を汚したり、ボール遊びをして窓ガラスを割ったりしていたので、大変苦悩が溜まっていたようである。
祖母は大変緑茶が好きであった。
がぶ飲みというレベルじゃないくらいに、頻繁に緑茶を飲んでいたのを思い出した。
最近リハビリが効いてきて、まだまだ大往生までは時間がかかりそうだ、という感じなので、生活習慣というのは本当すごい。
ウイルス関連の話を追うのは、情報を絞って行うことで、ほとんど気にならなくなった。
私はある種この期間は「刑期」のようなものだと思っている。
あるいは、蛹から、繭から、羽化が始まるように、こういう生活をすることが必要であると感じている。
とことん活用させていただく所存。