2021年3月も終わりですね
みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
もう桜も満開か、早いところだと散っているところもありますね。
以下近況まとめ
- Valheimおもろい
- 100時間は一瞬で溶ける
- Tennet難しいけどおもろかった
- やっぱり「リアリティ」の話だった
- 無職転生おもろい、小説も読んで先見てしまった
- 長野-熊本まで車で移動した
- 飲み食いしたおかげで10キロくらい体重増えた
- 色んなことが「そろそろ」になってくる
- 登山再開、キャンプ再開予定
- instagram投稿再開、note始めてみた(少し苦行
おおValheimよ
2月くらいからValheimという廃人養成ゲームをしていた。
これはいけない。ハマるしかない。
何が面白かったのか...?
そこには自由があったから、だろうか。
自由を感じることができた。
あとは、その自由感を阻害しない操作感、インターフェース。
随所にクリエイターのこだわりや愛が感じられたことも大きい。
たった5人の会社で、よくここまで作り込んだものだと感動した。
steamで2月の頭に発売して、もう600万本売れている。
かくいう私も、あれよというまに2週間くらいでプレイ時間が100時間を超えていた...
私はそれまでのすべてを忘れて、木を切り、石を集め、魔物を倒しながら海を渡り、ダンジョンを探索し、時に死んで生き返り、鍛冶場を作ったりかまどをつくったりして、畑を耕したり、釣りをしたり...して、オーディンが作った10番目の異世界ライフを満喫していた...
先月まで何してたっけ?アメリカの大統領がどうとかいう話をしていたような...
そんな世界線もあったな...
アーリーアクセスのため、まだゲームが完成していない。
10体くらいいるボスのうち、まだ半分くらいしか用意されてないので、結構中途半端なところでゲームがストップする。
それでも私は土地を耕し、拠点を作り、イノシシや狼といった獣を餌付けして飼いならして動物園を作ったりしていた...
あっという間に1ヶ月が過ぎた。
廃人後のTENNETと帰省
ゲームをすると痩せる。
理由は、飲み食いをほとんどしなくなるからだ。
あと、普段使ってない身体や脳をフル稼働するため、カロリーがすごい勢いで消費されていくのがわかる。
昨年山登りによって培った健康体は、ほとんど失われたかのようであった。
もう少し若ければ、もっとハマっていたかもしれない。あぶない。
加齢により、24時間ぶっ続けで、のようなプレイスタイルがほぼ不可能になった。
もうやることねぇなぁ、と感じたら、あっさりと辞められるようになった。
これは経験を重ねて、中毒性の高いものをストップできるようになったからなのかもしれない。
そうして廃人になって虚脱感あふれる中友人と飲んで、超ダメ出しを喰らったり、励まされたり、そんな精神状態でTENNETを見た。
まあ、面白かった。ノーランが撮りたい映画って、こういうのなんだろうなって思う。
時間が逆行するという設定を、あそこまで違和感なく撮れるのはすごい。
インターステラーが綺麗すぎたが、ああいうのでお金を稼いで、趣味の映画をとるという感じなのだろう。
その後私は実家に用事を見つけたので再び車で移動することにした。
公共交通機関で移動するのはよくないらしいので、仕方ないですね。
往復2000キロ紀行第二弾。
プチ帰省(往復2週間、2500キロ)で体重を取り戻した
一度やっているからか、二度目は脳に負荷がかからなかった。
車を運転しても、あまり疲れを感じなかった。疲れる前に、休んでいるからだと思う。
コロナ禍でもやっている飲食店は少ないもののあったので、そこでたらふく飲んで食って、をしまくった。
時短の影響で、8時くらいには会計を終えている。大変健康的だ...
久々の外のめしは、うまい。
たくさん脂肪を蓄えた上で、つまり燃料がたくさんある状態で移動できて、疲れ知らずだったのかもしれない。たべものに感謝である。
70キロを切りそうだった体重は、2週間ほどで82キロまで増加した。
やはり私に必要なのは、飲み食いすることだったのだろうか。
昨年の日本ほぼ一周以来、美味しいものを飲んで食べてということを半年近くしていなかったことに気づく。
日本には美味しいものがいっぱいある。食べないのはもったいない。
結果、舌だけ肥えて帰ってきて、自炊するのがしんどくなってしまった。
味もあるが、誰かが作ってくれるご飯、誰かと一緒に食べるご飯はおいしいもんだ。
酒もたまになら悪くない。
帰宅して自宅に設置してある懸垂バーでいつものようにプルアップをすると、重い。非常に重い。
そういえばからくに岳という山に登ったとき、たかだか2時間半程度の歩行で、へとへとになった。
あのとき私のデブ化は進行していたのだ。
恐るべし。
前月との写真を見比べて、別人のようなのでインスタグラムに写真を上げた。
数人から、お前はその方が良いとコメントを頂いた。
結構心配されるくらい頬がコケていたらしい。
新しいメディア
久しぶりにInstagramに投稿をしている。
帰省の成果ではないが、旅の備忘録として記している。
自分の名刺が無いので、名刺代わりになるなにかを模索中。
とりあえずInstagramと、noteでも始めるか、となった。
QRコードでも印刷して渡そうかなと考えている。
noteに書けないこういうダラダラした身の上ははてぶで更新していくことになるのだと思われる。
はてぶが部屋着だとしたら、noteは外行の服という感じか。
かきやすさでいえばはてぶが圧倒的に書きやすいのは、なんでだろう。
noteは...キラキラした若い人がいっぱいなイメージが有るし、ちゃんとしなきゃっていう意識がすごい強い。
いい意味でも悪い意味でも。
書いたものに値段がつくかもしれないという意識も、どこかで書く行為に影響を与えているんだろうか。
あと、自分のツラを晒して書いているので、匿名ではない緊張感がある。
人と顔を合わせない生活をしていると、表情筋が弱っていくように、文体も独特の衰えを持つのでは...と思って、ツラを晒してみた。
今んとこ、しんどさしか無い。1年かもう少し続けてみて、なにか変わるか見てみようと思う。
そろそろ...?
今年はそろそろ30代後半に突入する。
そろそろ、家庭でも持つべきか?とか、定住地を見つけるべきか?とか、考える。
まあ、ここまでこういう生き方で来てしまった以上、見つかったらラッキーくらいでいないと、色々しんどいんではないかという気がする。
自分の性格上、家庭ができたら家庭至上になってしまうことが見えている。
もっと計画を立てよ、といわれる。
しかしあれこれと計画を立てても、突然の渡航制限とかでパーになったり、人生というのはなかなか難儀なものだ。
麻雀みたいに、上がりたい役があっても、牌が回ってこなければ上がれない。
うまく「流れ」に乗りたいものである。
割とここまで、ほぼゴリ押しで来たような感があるが、どうだったんだろう。
それとも、結構流れを掴んでいたんだろうか。
これきついなあと思うことがあまりなくなった。
少し危機感を感じる。
別にこの記事が全て真とも思わないが、刺激がなくなると衰えていくのが人間のサガ。
「自由になりたい」と10代の頃から思っていた。
そういうことを言うと、周囲の知人友人家族やその他大人の皆さんには「そんなんで社会で通用するわけねえだろw」とか「ふわふわしてる、馬鹿じゃないの」とかお叱りを受けてきた。
意志というのは、言葉にするとわりとふわふわしているものであると思う。
それは感情のベクトルというか、その人の性向のようなものだからだ。
でも、その人の一生を決定づけるくらい強力なものである。
紆余曲折はあったが、自由である。
結局、そういうふうになってしまった。
自分でそういうふうにした、というより、そうなっちまった、という方が表現としてはしっくりくる。
苦労したかと言われれば、した。紆余曲折もありまくったが、苦労したから来れたというより、自分のどうしようもない意志が導いたという感じがする。
そういうのが、最近薄くなっているような気配がある。
体を動かしてないと、こういうことを考えがちだ。結局は運動不足なのかもしれない。
そろそろ暖かくなるし、山登りでも再開しよう。キャンプに行こう。冬に失われた自然とのつながりを回復しよう。
瀬戸内海沿いを走っていたら、海もいいよなとなってきた。
北欧のデジタル世界を探検していたのは、一体いつの話だったのか...
なぜ海を見ると癒やされるのか。山とは全く違う感情が身体の深い部分から湧いてくる。とても優しい気持ちになれる。
自分に足りないのは、海だったのか?
人が変わるには、環境を変えるのが一番手っ取り早いのだ。
東京の家を引き払って、瀬戸内海周辺に家でも借りようか...
フリーランスになって4年目であるが、色々体験としてインプットはあるので、そろそろ芽が出てもいいころかもしれない。
自分のやりたいことを話すと、大体ふわふわしているとダメ出しを食らうのだが、却ってたりないのは浮遊力なのかもしれない。
何かをやり通している人の話を聞くと、だいたいそれ無理じゃね?ってことを押し通している。
何かしら、産みの苦しみを味わう季節が近づいていそう、そんな気配は感じる。
意外と苦しまず、ぽんと出てくるかもしれない。
ではでは、ごきげんよう。
皆様に幸あらんことを。