あらんです

ドーモ、あらんです。

2021年5月もおわりますね

近況報告まとめ

  • 瀬戸内海・四万十を旅してた
  • あんまり見た目が数年前と変わらないらしい
  • 今は屋久島にいる
  • 感謝しかない

かつての同僚と再会して

2021年も5月を終えようとしている。 ニュースには相変わらずウ○ルスやワクチ○のネタばかり(機械的で不要な検閲を想定して伏せ字にしています。

かつて職場が同じだった友人に再会して、変わらないですねえと言われた。

それは良いのか悪いのか。見た目に関してなら、老いてないということで、肯定的に捉えるべきだろう。

あまり変化がないというのは、進歩もしていないということで、リスクを取っていないということなのかもしれない。

その人はそびえ立つ摩天楼群の中で暮らす、めっちゃ稼いでいる成功者という感じになっていたが、話してみるとコアの部分は変わってない気もする。

というより、そういう部分を持っていたからそこまで行けたんだろうな、というのが、正しいのかもしれない。

俺のコアな部分も、もしかしたら変わっていない。

そういう意味では、まだ自分も成功する余力を、残しているのかもしれない。

とりあえず、前向きに考えることにする。

「いつこの騒ぎ終わるんですかねえ」

街を歩けば、マスクをして消毒をして、多少人と距離を取ったくらいで、さほど変わらんとも感じる。

閉店したお店は結構あるから、これがもっとガラガラになってしまえば、大きく変わったなと思うのだろう。

変化というのは、いつも起きていて、ある不可逆な地点までこないと、変わったということに気づかない。

瀬戸内海、四万十

何度目かわからない緊急事態宣言。

出る前は、瀬戸内海付近にいた。

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Instagramにポストしているから、だいたいなんとなく雰囲気は伝わっていると信じている。

宿によってはシェアハウスのような暮らしもあった。

人との交流に飢えていたのか、たいへん楽しい旅だった。

たまたま優しい人達に巡り会えたのか、日数が少なかったから嫌な部分を見なくて済んだだけなのか。

話すという行為は、心に充実感を与えるよい活動だと思う。

数日間だが、一緒に暮らしていた人たちは、とても明るくて、フレンドリーで、いい人たちだった。

不思議と、ニュージーランドに縁のある人や場所が多いところだった。

自分がニュージーランド好きだから、情報をキャッチしやすかったのかもしれない。

あるいは、ニュージーランド人を引き寄せる何かがあるのかもしれない。

瀬戸内海付近を通り過ぎた時、とても住み良さそうだと感じたんだけど、それが気のせいじゃないかを確かめたかった。

結論としては、気のせいじゃなかった。

とても暮らしやすそうだった。

自分が好む場所には、特定の生き物が多いことも気づいた。

自分は、鳥の多い...それはカラスや鳩、雀といった鳥よりも、うぐいす、イソヒヨドリや鳶といった鳥が住んでいるような場所がタイプだと。

あと、猫が多い場所。瀬戸内海付近は、猫が多かった。

犬が嫌いというわけではないんだが、猫のほうがタイプである。

鳥はもっと好きである。

今度から家さがしのポイントに加えようと思う。

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四万十も、以前ちょっと通り過ぎたけど、通り過ぎるだけはもったいないと思って、数日滞在した。

日本最後の清流とは、よくいったもので、ガチの田舎があった。いい意味で、ちゃんとした自然があった。

海も近いし、川もあるし、山もあるし。ご飯美味しいし、お酒がうまい。なかなかすごい。

アクセスはとても悪いけど、その悪さが逆に防壁のようになっていると感じた。

屋久島にきますた

...日本は海洋国家である。やはり、海沿いの暮らしこそ真理。

そんな気分で、瀬戸内海付近を回っていた。ゲストハウスを回ったのは、人とのふれあいを求めていたからだと思う。

人と交流してなんぼやろ、にんげんだもの

そんなこんなだったのに、今は完全ボッチである。

コロナのことがないと言えば、嘘になる。

どこかで気にしているのかもしれない。配慮しているのかもしれない。

屋久島に来ている。

車とフェリーを使って来た。 はるばる、やってきた。

人里離れた一軒家を借りて、引きこもって...というより、屋外にでることも多々あるのだが、作業している。

自分のプライベートワークをやるはずだったんだが、進捗はまあ、思ったより進んだかもしれないし、もっと行けたかもしれない。

屋久島もちゃんと来たことがなかったので、おそらく2回目はもっとブーストが掛かるんじゃないかと思う。

はかどりポイントを見つけたので、もう一度チャレンジしたい。

今は雨季で、晴れることがめったに無いはずだった。

でも、意外と晴れている日もあった。

雨の日の一瞬の晴れ間がとても美しい。

いつも空が洗い清められているからなのか。チリがすくない。

温かい日にスコールが来て、雨に打たれるのも気持ちいい。

なお、湿気がすごくて、部屋の中の観葉植物は、その湿気だけで生きていけるくらい高湿度だ。

除湿機は一瞬でタンクがいっぱいになる。

縄文杉見に行けた

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ある晴れた日に運良く縄文杉を見に行くことができた。

前回来たときは、家族旅行ということもあって、縄文杉は断念したのだった。

往復10時間から12時間はかかるコースである。

長野で修行を積んでいたから登れたが、あれがなかったら多分途中で引き返していたと思う。

決して楽な道のりではなかった。準備しておいてよかった。

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縄文杉。なんか元の画素数がめちゃ重かった

生い茂った森林、うねる木の根、沢のせせらぎの中をひたすら歩いた。

道中、コマドリのさえずりをよく聞いた。ちゃんと聞けたのは初めてかもしれない。

聞いているとなんだか元気が湧いてくる。おまえらすげーな、と思いながら歩いていた。

シカや猿の群れにも遭遇した。人に慣れているのか、あまり逃げない。

長野のシカはもっと警戒心が強かった。

水くみ場所がたくさんあったのが本当に助かった。しこたま白谷雲水峡の水を飲んだ。

理想の家探し?

天井の高い家屋は、背の高い自分にとっては、解放感があってたいへんよい。

自分の拡張感覚というか、空間を知覚するミラーニューロンのようなものが、のびやかになるのを感じる。

狭いところに行くと、ぐっとなにか押さえつけられるような感じがしてしまうのが、よく分かるくらいには、羽根を伸ばした。

森に囲まれた家で、鳥のさえずりで目を覚ます。

うぐいす、ヒヨドリ、鳶といった鳥が多い。フクロウやイソヒヨドリが現れたらラッキーである。

蝶やミツバチ、まだ5月だがトンボもたくさんいる。

こんなところに住みたいなあと思っていた夢が、かなった心地である。

自分の持ち家ではないけど。

生まれ育った場所も、周りは民家がたくさんあったから、人間の気配というのはいつも感じていた。

おばあちゃんの家に行くと、その気配がかなり薄まって、自然との距離が近くなるのを感じる。

ここは、それ以上に自然が近いと感じた。

たぶん半径数百メートル以内に人間がいない。

そのくらいの密度でしか味わえない感情や感覚、というものがある。

(なんか人が近くにいると、ぶつかる感じ、あるよね)

広大な海を前にして、心がほぐれていくというか、仕舞っていたものを取り出しているというか、なにかがみなぎってくるのを感じる。

元気になれる。屋久島には、益救神社というところがある。

これって、たぶん屋久島の元の字なんだろう。

神主さんや巫女さんたちが感じ取ったパワーの性質が、そういうものだったのかもしれない。

benefit and relief。

いるだけで癒やされる〜という感じがする。

益救島。元気になれるばしょ。救いがある場所。

水のごとし?

人と交流すること、人とできるだけ離れて、自然のなかに身を置くこと。

自分にとっては、どちらも必要なのだと思う。まあ、ありきたりな感想といえばそうだけど。

ずっと田舎にいると、やはり多分、飽きてしまうし、一応人間という生命体に宿ったなにかなので、人間としての本能は機能している。

人と関わっていないと、バランスが崩れていくのを感じる。

一方で、人の輪の中にずっといると、今度は自然とのつながりが失われてしまい、しんどいなと感じるようになる。

1週間か2週間おきくらいに、交互に都会と自然を行き来できたら、ベストかなと思う。

自分のあり方の特定の部分を切り取れば、それはなになにっぽい、みたいになる。

「それは車の運転嫌いなんじゃない?」

と言っていた人が、

「やっぱりあなたは運転好きなんじゃない?」

と手のひらを返す。

好きだし嫌いである。

人間とは絶対矛盾の自己同一だと言ったのは、西田幾多郎だったか。

自分は定住も好きだし、移動も好きである。

老子という古代の思想家が言うには、上善は水のごとし、と。

水は海や地表から上って雲になって雨になってまた川を流れて海へ帰っていく。

そのあり方を切り取れば川になり、海になる。でも、結局水である。水は水である。

自在にあり方を変えて、それでいて地球の命の源になっている。

人間の存在のあり方も、水のようにあるのが良いのだと。

融通無碍。自由自在。

昔から憧れるあり方である。

水は流れていないと、死ぬ。

一つ所にとどまっていると、どうしてもしんどいと感じてしまう。

人間とは、いてもたってもいられない人間である。

旅こそ我が生と喝破して、一生旅して生き続けた松尾芭蕉という人も、我が国にはいたな。

旅し続ける生き方というのも、ありかもしれんとは思う。

でも、持ち家はほしいのである。

自分がとってもお金持ちだったら、家や別荘を立てて、たぶん飛行機とか使って往復生活をするんだろうなと思う。

ちょうお金持ちだったら。

お金を用いずに、こういう暮らしがどうにかできんかなと考えていた時期もあるんだが、さっさと稼いで、できるようになりなさい、という天の声なのかもしれない。

でもやっぱり感謝

とはいえ、今こうして旅をできているのは、本当いろんなご縁があってのこと。

感謝しかない。

感謝します。

最近感謝の念が強まっていくのを感じる。

ARIGATO GOZAIMASU。

馬渡松子 - 微笑みの爆弾 (幽☆遊☆白書の主題歌) - YouTube

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