2020年7月です
まとめ
- 35歳になった。 アラフォーじゃん...
- 長野に少しの間仮住まいすることにした
- 15kg痩せた
- 在宅時は菜食、呼ばれれば肉も魚も食うし、酒もOKというスタイルにすることにした
- 車で熊本から長野までマラソンした
- 熊本の水
- 全国呼ばれれば馳せ参じます
年齢
ついに来てしまったという感じがする。
人は心から老いていくから、心は若いママでいたいと思う一方、年相応というか、良い年のとり方というのも憧れではある。
自分の行動を見ていると、まだまだ「大人」というものには遠い気がしてしまう。
弥山(広島)、大山(鳥取)、や鞍馬山(京都)をビーチサンダルで登るくらいには、無謀感が漂う。
(別になめているわけではない。足元に気をつけられるようになりたくて、割と意図してやっていた。)
家族を持てばおそらく変わるのだろうか...一回無理やり結婚でもしてみたらいいんだろうか。。。相変わらず独身を満喫中...。
こう、めちゃくちゃ気品のあるバーのマスターだったり、いろんな歴史が流れている育ちの良い人だったり、そういう人と接すると、己の至らなさを自覚する。
彼・彼女らの光に照らされて、おまえは何者なのか、と誰何されている気がする。
そこで動じない、気圧されない、私はこのようなものである、と宣言できるような存在になりたいものだ...。
この辺に関しては、またどこか別なところで書き上げる予定。
長野
なんで長野やねん、という話なのだが、
- 海外に行けないので、代替プランがほしい
- 自然が恋しいので、自然に近いところにしばらく住みたい
- 荷物が増えすぎて収まらないので、広い部屋を借りたい
- 山、湖のそばにいたい
- 東京に仕事の拠点があるから通える距離がいい
- 車で生活できるところ
みたいにして探していたら、長野になった。
部屋が狭すぎるのと、騒がしい人が引っ越してきて落ち着かなくなったから出ていきたいという気持ちが強くなったことが直接のきっかけで、それを後押ししたのがコロたんだった。
ここまで日本で自粛ムードでなければ、4月あたりからしばらくのんびり国内を旅しながら...というのも考えていたのだが、それも難しくなった。
というわけで、思い切ってゴリッと拠点を増やしてみた。
今の所、とても静かで、のどかな日々である。寂しいといえば、寂しさは半端ない。
生活も不便である。
ちょっと気の利いたものを買おうにも、周りにはそのようなものを取り扱っている店はない。
したがって、基本的に通販になるのだが、東京だと翌日には届いていたものが、2日3日とかかる。
ごはんも、友人が少ないからといって、一人でご飯に行かないわけではない。むしろ、一人飯は好きである。
が、飲食店も...
まあ東京に行けばええやろ、という気持ち。
地元で取れた新鮮野菜やら家庭菜園やらを試みようと思っているので、そっち方面を開拓したい。
梅雨があければアウトドアのシーズンが待っており、そうなれば我らの天下よ、という期待で胸を膨らませている。
その前に水害で色んなものが流されませんよう、諏訪大社にお参りする日々。
体重
習慣が変わったと言っていたが、結果15kgやせて、見た目も変わった。
Google Photoの画像分類では、しばらく別の人間にカテゴライズされていた。
睡眠時間が短縮され、超朝方人間になり、肉も魚も食わんという感じになっていたが...
2ヶ月くらい過ぎた頃から、さすがに栄養失調気味なんじゃないかと思い始め、食べる量を増やし始めた。
タンパク質が足りてなかったようで、プロテインを補給したりし始めると、徐々に肉が戻ってきた。
それでも、筋トレしにジムに通っていた頃のような、ムチムチ感はない。
そのかわり、長く歩けるようになった。山登りをしていても、あまりバテないし、以前より登山スピードが上がっている気がする。
菜食、肉食
菜食中心にするメリットは、食費が安く済む、内臓への負荷が減ってエネルギー効率が上がる、意識が冴える時間が長くなる、寝付きが良くなる...などが挙げられる。
家畜が可愛そうみたいな罪悪感だとか、仏教のような宗教(というか哲学?)への傾倒も、無いわけでは無いが、自分の体調がよくなるから、ということが直接の動機である。
何かを食すということは、日本に生まれたからと言うこともあるが、一種の儀式のようなものなんじゃないかと思うようになった。
それを無意識でわかっている人が作る料理は、やはり食べるとただのマテリアル以上のものを摂取している、という気がする。
だから、自分で作るものにはできるだけ気をつけたいし、その素材がどこからきて、どこへ行くのか、というこだわりを持った人が作るものを食べたいし、自分もそのように心がけたい。
せっかく自分の目の前に置かれて、食べ物として扱われるのだから、せめてそのくらいはすべき...である。
車
これもありがたい話で、不要な車が実家に一台余っていたので、売りに出される予定だったものを、借り上げることになった。本当にありがたい。
4万キロほど走っているが、車の状態はとても良い。
NIS●ANのセ●ナだが、会社といい車の名前といい、なにか因縁めいたものを感じる。
某サラリーマン時代に少しお世話になった会社で、セ●ナさんというのは、スイスでお世話になった友人の名前である。
大事に乗らせていただきます。。。伏せ字にしたのは、特に理由はないです。あるかもしれません。いや、ないです。たぶん。
熊本ナンバーで激走しているやつがいたら、私です。暖かい目で見守ってください。
で、1000kmくらいを縦断したわけだが、途中泊まりながら、各神社や仏閣に参詣(...というなの観光?) しつつ移動した。
途中、寄り道を結構したが、どこも空いていて、観光業、飲食業などの産業はかなりつらそうだった。
本当は、日本全国感謝御礼の旅をしたいんだが...。
今回寄り道して印象に残ったのは阿蘇(地元)、広島(宮島・広島市)、書写山(姫路)、そしてやはり京都...(京都は、別格)。
阿蘇や京都は自明だとして、広島にはじめていったが、水も食材も景色も、大変よかった。
「〜じゃあ」というなまりがなんとも心地よい感じがする。
書写山はラストサムライのロケ地に選ばれた場所なだけあって、凄まじく絵になるところだった。姫路に住みたいとは、思わなかったが...
道中お世話になった方々、心より御礼申し上げます。
熊本・水
肥後は火の国と言われるが、水の国でもある。
水資源が豊富で、地下水を使って水道水は提供されている。
昔から水害も多く、小学生くらいで市や県の歴史を習うが、大きな水害があったことは教科書にも書かれている。
地名も、水にちなんだ名前が多い。小高い丘のようになっていたり、高低差もあることから、埋め立てたりしてできた土地が多いんではないかと思う。
(今住んでいる場所の近くも、昔は湖の一部だったところを埋め立ててできた場所らしい。)
幼い頃は地元の河川が溢れてしまったこともある。近くには水神を祀ってある神社や石碑のようなものが結構あり、きっと水とは縁が深かったことが伺える。
道路が川になったのは、今となっては思い出の一つ...。
球磨川はとても綺麗な川だが、度々水害にも悩まされている。
幼い頃の報道では、川辺川ダムはもう作られることが決まって、沈む村落があるみたいな番組があっていた。
2008年の民主党政権下で中止になってしまった。
もし、ダムを作っていれば、マシだったんだろうか...?
治水の方法は、ダムだけではないと思うが、ダムを作ろうという動機そのものは、水害をなんとかしたいという思いだったんだろう。
現県知事も、治水をしたくなかったわけではあるまいし、美しい自然は、資源にもなる。
その土地で長い間暮らしているひとの歴史も、大事にしたいだろう。
誰かに悪意があったわけでは、ないかもしれない。犯人探しをし始めたら、きりがない...。民●党政権の背後には、悪意があったかもしれないが...
第一、氾濫の危険があることがわかっているなら、そこに住む事自体が問題にならないのはなぜなのか。
その流域に住む人の財源だけでまかなえるインフラであれば良いが、そうでないとしたら、誰が負担するのか...他の区域の人間とて、何かに財源を提供している...
そう言いながら、私は湖の近くに居を構えているわけだが、人が住める場所が少ない日本という国土で、良い場所を選ぶのは、実はとても大変なことなのかもしれない。
祖母は土砂災害と隣り合わせで生きていた。でも、どこかそのようなものありきで生きていたようにも思う。
「んまあ、そん時はそん時たい」と、言っていたような。
人間とて自然の一部...死は、生きることの中にある。そういうことなんでしょうか...
最初から自然に降伏しているわけでも、無理やり支配しようとしているわけでもない、なんというのだろう、そういう態度があった気がする。
「日本人」とくくることは乱暴かもしれないが、日本人にとって神々というのは、人間の支配者、延長やオリジンというより、どこか「他所」のものであり、「祀る」というのは、心の支えとするような精神とは、どこか異なるんじゃないかという気がする。最近、神社仏閣を巡っていて、そういうことを考えるようになった。
キレイな場所に住みたいと思うと、水害や土砂災害、津波や噴火の心配がある。そうでなくても、平野部でも、震災の危険と隣合わせである。
いやはや、実に難易度の高いところで、我々の先祖は暮らして、歴史を紡いで来たのですね...
正直熊本に今行ったところで、できることは殆どないと思うが、人がある程度出入りできるようになったら、ボランティアにいってなにかお手伝いしたいと思っている。
以上、なんだかまとまらなかったが、久々の投稿ということで。。。
東京には普通にまだ本拠地があるので、しょっちゅう行く予定です。飲み会とか誘ってください。
ではでは、また。