PMA
僕は仕事仲間に恵まれている。 何故と言うに、話が通じるからである。少なくとも僕が話すことは理解されたというフィードバックを受け取ることができる。 自分の体験を話しても相応の共感が得られるし、結構似たような感性なのかもしれない。
常にいろんな情報を仕入れてアップデートしているし、歩むことを止めない。 仕入れた情報を自分なりに言語化して、テーブルの上に並べることができる。
それは案外、当たり前ではないのかもしれない。 変化を受け入れなくてもいい世界に生きていれば、人は変化することをやめる。 ただそれだけのことである。 取り巻く情報に差がありすぎると、話していて違和感のようなものを覚えて、それが時にはネガティブな感情になってしまう。 ネガティブな感情は、無意識の内に避けるようにできている。
今日久しぶりに集まって飲んだのだが、飲み屋で話している内容は、他の人が聞いたら物騒なものかもしれなかった。 彼らはどこか超越している風情がある。 超越なんて言葉は物々しいが、平然としているところがとてもクールで良い。 どう考えても暗い話が、どこか滑稽なものになる。するとその暗さが小さくなる。
PMAというのは、Positive Mental Attitude の略である。
Overwatchというゲームがある。 このゲームにはプロリーグがあって、スポーツ選手のように契約金をもらったり賞金を稼いだりして生計を立てている人がいる。 その選手の一人、TAIMOUという人がネタで使っていた言葉だ。
Overwatchというゲームは、やってみればわかるが、とても感情的になってしまうゲームだ。 負の感情が吹き荒れることが多い。 このゲームのライブ配信は、配信者が発狂せんばかりに怒ったり、悲しんだりすることが多い。 ネガティブな感情が一種のコンテンツとなっており、彼はそれをある種逆手にとって笑いにしたわけだ。
これは一種のネタ動画である。話が脱線しそうなのでこれはこのへんで。
身体に姿勢があるように、メンタルにも姿勢がある。 何かことが起きたときに、なにか問題を知覚したときに、どういう態度を取るか。 そういう話。
問題が起きたときは解決可能なものとして捉える。
問題であったり、ある事象から想定される失敗やリスクというのは、たしかに人を圧倒するようなものがある。 圧倒されるとき、人の精神は敗北している。 僕の仕事仲間は、圧倒されない。どうにかそれをハンドルしようとする。彼らは勝利する。 オプティミズムというのは、ヤバい事実を見ないことではない。見えているが、その先へ行ける態度のことである。 彼らは選択する。従うのではなく、選択する。
少なくとも、僕はそのように思っている。 だからそういう人といると、心強いと感じるし、そういう人の助力になりたいと思うのである。 僕もそうありたい。
...世の中はヤバみが吹き荒れているが、圧倒されない。 どうにかこうにか、なんとかなるさ。なんとかするさ。 そんなことを思った一日であった。 ありがとうございます。