ターニングポイント
月日は百代の過客にして...
旅人は旅をする。
一つ所に長くとどまることはない。
去年放送された無職転生のアニメのテーマだが、とても響いた。
なんということはない、ひとつの「案件」が「休止」したというだけのことである。
今後はしばらくメンテナンスモードに入る。
さよならは突然に。
いや、予期していたといえばそうだ。
いつだってその可能性は、あったのだから。
宇宙は動的である。
「一区切り」ついて、幕を閉じたんだなという感がある。
年数にしたらなかなかのものだし、小学校より長い時間なにかを共にしたという経験は、家族に次いで長い。
安定か冒険か
安定は停滞と紙一重である。
生活は安定していた一方、新鮮味やわくわくといった感情は薄まっていったかもしれない。
まだ続けても良かったじゃないかと言われたら、そうかもしれない。
ここでカンのいい人は、「これって恋愛の話?」と思うかもしれない。
いや、違うんです。仕事の話なんです。
(プライベートは独身のままで、パートナー見つかってません笑)
なのである程度「ぼかして」書いています。
(それでも、文章としてはある程度通る内容になってます。)
...話をもとに戻す。
ここは、相手(意思決定者たるプロダクトオーナー)の立場になって見る必要がある。
2つのことがある。
一方に楽しいこと、あかるいこと、わくわくすること、おもしろいことがあり、あたらしいことでいっぱいである。
その光のようなものと比べられるものがある。それは、その光に照らされて、どこか陰りを見せていたかもしれない。
新しい市場への参入。彼は新しいことに挑戦したいのだと思う。
できる起業家というのは、そういう気質なのだ。
この市場(ウェブサービス、アプリ界隈)はまだまだこれからも伸びると思う。
でも、それはもう以前のフェーズとは全く違う世界。
得体のしれない人も含めたたくさんの人や組織が群がって何かを成し遂げようとしている勢いはない。
権威が生まれ、階層化され、法律も整備されてきた。
ゲームで言えば、「メタ」が変わったというべきなんだろうか?
ゲームも出始めが一番面白いと感じる。PUBGなんかも、初期の頃が一番楽しかった。
「攻略法」がわかり始めて、力量が階層化されると、途端につまらなくなった。
市場が成熟する。すると以前より「ちゃんと」した人たちがそこにはいるんだろう。
技術的な水準や仕事の効率も向上しているのだろうと思う。
業界の「レベル」も上がっているんじゃないか。
市場が成熟するというのは、そういうことなんだろう。
ただ、一方で失われるものもある。質が変わるというのは、そういうことでもある。
ウェブサービス・市場のサイクル
Airbnbのホストを長く続けている人(イタリア人)に、話を聞いたことがある。
「最初はとっても面白かったです。刺激的な人がいっぱいでした。そういう人しかAirbnbを知らなかった。今はそういう人殆どこないですね...」
と、ちょっぴり残念、という感じの顔で話してくれた。
最近のゲストが刺激的でないとしたら、私も刺激的ではないのか?
いや、そういう本音っぽいのを話してくれるということは、ある程度面白いやつだったということなのだろう。
その人とは酒も飲み交わし、ありがたいことに仕事も誘われた。補足情報で、パスタがめちゃくちゃ美味かった。
イタリア人なんなの。みんなパスタ作るの上手ね。
ユーザーの質は時間とともに変化する。
ウェブサービスのライフサイクルというのはそういうものだ。
新しいものに飛びつく人たちは、それが新しいものでなくなると、離れていく。
あとから来る人と、どうしても相容れない部分を持っている。
なんというか、アプリ界隈は、昔はハチャメチャな感じがあった。
そういうものが感じられなくなったのはいつからだろう?
この世界が一つの「サイクルの終わり」を迎えたのだろうか。
一つのサイクルが終われば、新たなサイクルを迎える。
やれることはたくさんあると思うし、まだまだこれからじゃないかと言われたら、そうかもしれない。
だが、昔みたいなお祭り感はない。
秩序は混沌から生まれる。
混沌の中には色んな不純物や、不快なものもたくさん混ざっている。
一方、そこには熱狂がある。幻想もある。人を夢中にさせるなにか。駆り立てるなにか。
幻想自体は、見破ってしまえば姿を消す。しかし、見破るまでは作用し続ける。
幻術のようなものかもしれない。領域展開。
「最適化」が進んだウェブの世界は、自分の興味関心だけにあうコンテンツやユーザーが「選別」される。
それは「快適」である一方、どこか寂しい感じもある。
市場の成熟というのは、そういうものなのだろうか。
ザッカーバーグがメタバースへ行こうとしているのは、初期の幻想、熱狂、混沌といったものが市場を作ることを知っているからなのかもしれない。
(私はメタバース自体に魅力を感じないが…)
そうして、その初期の爆発的なエネルギーにうまく乗れば、上昇することも容易いということを彼らは知っているのである。
単にそれが金儲けできるという以上に、そういう「ゼロイチ」のフェーズが好きなのかもしれない。
落ち着いた世界にはどうしても「退屈」を感じてしまうんではないか?
心の灯火
お前は不愉快なことやネガティブなことを欲しているのか?と聞かれたら、NOである。
不愉快なことを経験したいわけじゃあない。それはもうお腹いっぱいである。
ただ、以前だったら不愉快だと感じたことも、最近は別な感じ方をする、ということはある。
世界は変わっていないかもしれないが、私は変わったかもしれない。
どうしても、なにか物足りないものを感じていた。
心のなかに炎のようなものがあるとして、それがうっすらと消えかかっていたんではないか。
昨年末に私はようやく鬼滅の無限列車編を見たのだが、「心を燃やせ」というセリフがとても印象に残っている。
心の炎が消えると、命の灯火も薄くなってくるのかもしれない。
休止に関しては複雑な気持ちがあるが、私は前向きだ。
というより、前を向くしかない。
大丈夫、だいたいのことは呼吸でなんとかなる。
煉獄さんも言っているしな。
私の心の炎も、風前の灯火だったが、ここに来て少し明るくなってきたようだ。
良いパーティ(冒険者ギルド的な意味で)
いい仕事だった。仲間に恵まれたこと、サービスがちゃんと軌道に乗っていたことが大きい。
少人数で回していて、各人がそれぞれのパートで独立して動くことができた。
MMOやったことがあるひとならわかると思うんだけど、あるクエストをこなす際に、やり方が分かっている各自が仕事をしてくれると、そのクエストはめちゃくちゃ楽になる。
背中を完全に預けられる感覚。自分のことだけに集中すればいい感覚。
クエストの難易度は、よくできたパーティで挑むと圧倒的に下がって、ときにクソゲーのように感じてしまう。作業感とでもいうのだろうか。
意思決定の迷いやブレがなかった。これも大きい。的確な意思決定者がいたこと。
組織にありがちなよくわからないイベントや、面倒な人間関係(嫉妬とか敵意とか恐怖による歪んだエナジー)もない。
理不尽な上司もいない。煩雑な意思決定のプロセスもない。単純明快。シンプルさを愛する人達の集いだった。
労働と契約には納得感があり、皆見知った存在だから、不安もなかった。信頼があった。
家族的な感じでもない。そういう甘さとは縁が遠かったかもしれない。それでも、とても律儀なクライアントだった。
無茶なスケジュールとかも一切ない。なので遅滞させた覚えもない。
オフィスという物理空間にも悩まされることがなかった。
コロナが始まってからはオフィスに顔を出すこともなくなった。
昔は特に空調に悩まされることが多かった。
東京のオフィスには肺や気管支をやられることが多かった。
物理的にクリーンな環境にいられたおかげで健康になった。筋トレしていた頃はちょっと若返ったようだった。寿命を取り返した。
時間も増えた。海外旅行をしながら仕事をすることもできた。見聞を広めることができた。
人間としての幅が広がった気がしている。
安定した収益があったからできたことである。
サービスが儲かっていたからなのか、支払いは良かった。軌道に乗るというのはすごいことだ。
それは、当たり前ではないんだよなぁといつも思っていた。
でも、この人たちだからできることなのだと、そういう確信もあった。
今後の旅路
暮らしに対して不安を感じることもなかったか、といえば、それはわからない。
いつか終わりは来ると思っていたので、身の上を説明して「いいですねぇ」と言われながらも「今だけですよ」と返すこともしばしばだった。
結構な出費をして色んな体験をし続けたのは、一種の投資のようなものだと感じていたからだし、ただ遊び呆けていわたわけでもない。危機感の表れのようなものである。
多分アプリ開発でこれ以上の案件は今後は見込めないだろうと思う。
個人的な感慨が多く含まれているから、だいぶ誇張しているかもしれないが、それでもいい仕事だった。
トータルで見たら、これ以上に「神」的な案件は、今後も得られないだろうと感じる。
一つの頂点というか、極みのようなものを体験していたのかもしれない。
満足したといえば、そうなのかもしれない。
エンジニアを始めた頃に持っていたイメージが、ほぼ全て手に入ってしまった。
そうなると不思議なもので、他のことを探し始めてしまうのだ。
何が楽しかったかって、それはそのプロジェクトに関わる仲間たちだし、そういう仲間と繰り広げた「物語」だったのかもしれない。
「今だけ・ここだけにしかないこと」がそこにはたくさんあったのだと思っている。
プロダクトやビジネスには再現性のパターンはある。でも、この組み合わせは、多分再現性がない。
それゆえに惜しいが、だからこその一期一会なのかもしれない。
出会いがあれば別れもあるというやつだ。
こういうことを感じるのは根が旅人やゲーマーだからなのかもしれない。
新天地を求めるというべきか、「別ゲー」に手を出したくなるっていうのかな。
別ゲーならまた新しく1からやり直すだけだ。
ロールプレイングゲームにはありがちな、所持金装備品すべて失うみたいなイベントに比べたら、まだ優しいと言える。
ほとんど失っていないからだ。
感謝を込めて
このプロジェクトは色んな偶然が重なって続いたことだった。私は今、その全てに感謝している。
つらかったことも、たのしかったことも全部。
みんなありがとう。
私も新しいことに本気にならなくちゃいけない。
そんな気にさせられる出来事だった。
コロナのこともあって、どこか意識が浮遊しているような感覚になっていた。
スペインかぜが3年で終わったように、コロナもそのくらいで終わると言われていた。
良い変化の兆しは、至るところに見て取れるし、感じ取れる。
時代の潮目なのかもしれない。新しいことを始めるには、好機なのだろう。
自分がアプリ開発を今後も食い扶持としてやっていけるか自体にも疑問を挟むことが多くなっていた。
興味関心や学習することへのモチベもあるが、フィジカルな問題のほうが大きいかもしれない。
スクリーンを長時間見ると、目が辛いのである。呼吸でなんとかなるんだろうか?
体力は増えたし、健康にもなったのだが、一方でデジタルなものへの耐性が下がっている。
日没後にスクリーンを見ると、寝付きが悪くなる。
頭の周りにモヤが掛かったような感じになるというか...
自分の体が拒絶しているようにも思える。
散々色んな所を回ったり、体験して、やりたいことが見つかったのかと言われたら、ある程度は見つかったと思う。
トライアンドエラーで暗中模索していくことになると思うんだが、試行錯誤の産みの苦しみみたいなものを、味わいたいのかもしれない。
楽しそうにものづくりをしているクライアントの姿を見て、もしかして...というか、やっぱり、私がしたかったのはこれなんじゃないか、と思ったことがあった。
一方には冒険があり、一方には崩落がある。
収益には影響があるから、やばいといえばやばい。
エッシャーのだまし絵のような、天使と悪魔が表裏一体で私の目の前にいるような、そんな心地がする。
私に力がなければ、くちていくだけだろうし、あるならば、羽ばたけるだろう。
今はそんなLive or Die な気持ちだ。
たぶんなんとかなるし、なんとかするだろうという予感だけがある。
その予感は成就しないかもしれないし、するかもしれない。
期待しない。悲観もしない。
昔なら誰かの嘲る姿が浮かんだかもしれない。十二国記の青猿のようなやつ。
そういうのもない。
感情がなくなったわけじゃない。
こんな長文書くんだから、色んな思いがこみ上げているのは私が一番わかっている。
それより今は、これから先に向けた情念を作るべきなんだという気がしている。
ほとんど人と会う機会も減って、「アラン」と呼ばれることも減った。
住居も長野の方に移してしまったから、気軽に飲みに行ったりする相手もいなくなった。
このブログは久々だが、昔のゲームにログインして、古いアバターを使っているような気持ちになる。
あらんという人は、このように生きていたのだな、という、別人を見るような感じが最近とても強い。
環境が変わると人は変わる。
付き合う人でも人は変わる。人は周囲との相互作用でできているから。
人は変化する。命も心もうごくものだから。
全く同じではいられない。
さようなら さようなら 過ぐる日のわたしよ
さようなら さようなら 記憶は残せど
さあて、次はどこへ行くか。
おまけ
最近見た動画
- 呪術廻戦
- 鬼滅の刃 無限列車編、遊郭編
- 無職転生
- 転生したらスライムだった件
- 蜘蛛ですがなにか?
- 小林さんちのメイドラゴン
- 小林さんちのメイドラゴンS
- 先輩がうざい後輩の話
- 魔法使いの嫁
- ジョジョ6部(ストーンオーシャン)
- 岸辺露伴は動かない
- 精霊幻想記
普通に全部面白かったが、魔法使いの嫁が異質な感じがした。ちょっと昔のだからというのもあるが...
メイドラゴンは、京アニの解釈や表現の力がすごすぎて、めちゃくちゃ良い情動をもらった。笑いあり涙ありのいいアニメです。
ジョジョの6部ってOrange is new blackとか出たあとだから今放映できるのかなとか思うと、荒木先生どれだけ先を見ていたんだろうか...。 露伴先生もブレイクしているし脱帽である。
無職転生は、女性には抵抗があるかもしれないが、女性でも楽しめる人は楽しめると思う。これは必見。大原ゆい子さんのテーマソングだけでも聴いてほしい。
これからウィッチャーを見る予定。 映画館にはマトリックスリザレクションを見に。
ではでは、ごきげんよう。
we may see you again.
2021年11月です
6月〜11月まとめ
1.日本列島旅行していた 2.引っ越しを決めた 3.中古物件買おうとしてローン組もうとした
旅行
前半が九州、四国、中国近畿地方
後半が東北、北海道
本当にそんな感じの旅。
ひたすら日本の海の沿岸を走っていた。
フォトライブラリを見返すと空と海の写真ばかり笑
去年は山にたくさん登った一年だったが、今年は海沿いにいた。
一体何のために走っているのか、自分でも途中からよくわかっていなかったかもしれない。
日本地図を眺めて、回っていない海岸のそばがあると、なんだかそこが欠けているような気がして、とりあえず制覇しておこう、みたいな感じだった。
RPGのゲームでマップが暗いところあると気に入らないやつ。
2年たたないうちに車の走行距離メーターは10万キロを越えていた。
通算で6万5千キロは走ったんだろうか?
おかげで大変日焼けして、こんがり小麦色になった。
旅をしていていくつか不思議なご縁を頂いた。
皆それぞれユニークなスタイルを持っていた。
お金では買えないもの、値段のツケられないもの、ということに対してとても心を動かされ、本当の豊かさってこういうことだよなあとしみじみ思っていた。
(そしてそこには金銭がなければたどり着けなかったことも確かである)
ひっこします
振り返ってみれば、今年は殆ど自宅にいなかった。
自宅は物置のようになってしまい、色々問題も重なって収納を頑張る気が起きなかった。
思い切って新しい賃貸の家に越すことにした。
東京と諏訪の二重生活になっていたが、これを松本に一本化します。
初めてのオール電化であるが、できればガスのある暮らしが良かった。
あまり電気というものに好感を抱いていないのかもしれない。
安上がりではある。太陽光パネルがついているからほぼ電気代はかからない上に、売電してお金が入ってくる。
また2年以内には引っ越すと思われる。
岡山ハウス
同じころに、中古住宅も買おうとしていた。
日本を回ってとてもお気に入りの場所を見つけて、そこにある物件が売りに出ていた。
海も山も見える、絶景スポットだった。
イメージとしては、ほぼ自分の理想に近いと感じていた。
生活の利便性は無いが、畑をいじったりして半分自給自足の生活をすることも可能だった。
一括で買うだけのキャッシュはなかった。
ローンを組むのだが、銀行側が物件自体に価値を見いだせず、という話になり、ローンを組むことにも失敗した。
その後それでも審査を継続したいなら元本で入れろと言われた金額がなかなか高額だったので、諦めることにした。
その反動を次のおうちに注ごうと思う。
皆がお家時間をおえるころにお家時間を始めるマン。
悔しさをバネにして
こういうときすとんとお金を出せるだけの財力が欲しいものだと思った。
今まではなんとなく貧しくもなく、そこまで豊かでもなく、という感じでのらくらやってきたのだが、ここに来て自分の購買力のなさを痛感した。
購買力も足りてないし、個人事業主というステータス上、銀行は融資を渋る。つまり信用力が低いのだ。
何と比較するかで、豊かさや貧しさというのは決まる。
ドブラックな企業で月収20万切っているような貧しい時代と比較したら、今の暮らしはとても豊かである。
そして、中古の家を一軒買えるだけの財力はない。
お金はなくても良いかもしれず、あってもいいものである。
どっちでもいいんだったら、持っておいたほうが、選択肢は増えるので、より自由だってことになる。
自分としては、やや高額なカメラを買うようなノリで、家を買いたいものである。
ちなみに、その物件は、外国人の人の手に渡るらしい。
営業トークかと思っていたが、どうも本当っぽい。
その人はキャッシュで買えるだけの財力があるんだとか。
価格設定も日本人向けではなかった。
その土地も、どちらかというと外国人が喜びそうな立地だった。
私の目はどちらかというと外国人のものなのかもしれない。
外国人らしく、海外へ普通に出られる時機を見据えて、今は稼ぎに精を出すことにしようと思った。
夢が叶わなかったのは残念だが、割と今はやる気に満ちている。
この2年あてもなく日本をさまよって、ほぼ2周くらいしたが、その成果としては、「やる気を取り戻した」というものなのだろうか。
観測地点が現在なので、これも数年後にはまた変わったものになるのだろう。
今はこれで十分なのかもしれない。
2021年5月もおわりますね
近況報告まとめ
- 瀬戸内海・四万十を旅してた
- あんまり見た目が数年前と変わらないらしい
- 今は屋久島にいる
- 感謝しかない
かつての同僚と再会して
2021年も5月を終えようとしている。 ニュースには相変わらずウ○ルスやワクチ○のネタばかり(機械的で不要な検閲を想定して伏せ字にしています。
かつて職場が同じだった友人に再会して、変わらないですねえと言われた。
それは良いのか悪いのか。見た目に関してなら、老いてないということで、肯定的に捉えるべきだろう。
あまり変化がないというのは、進歩もしていないということで、リスクを取っていないということなのかもしれない。
その人はそびえ立つ摩天楼群の中で暮らす、めっちゃ稼いでいる成功者という感じになっていたが、話してみるとコアの部分は変わってない気もする。
というより、そういう部分を持っていたからそこまで行けたんだろうな、というのが、正しいのかもしれない。
俺のコアな部分も、もしかしたら変わっていない。
そういう意味では、まだ自分も成功する余力を、残しているのかもしれない。
とりあえず、前向きに考えることにする。
「いつこの騒ぎ終わるんですかねえ」
街を歩けば、マスクをして消毒をして、多少人と距離を取ったくらいで、さほど変わらんとも感じる。
閉店したお店は結構あるから、これがもっとガラガラになってしまえば、大きく変わったなと思うのだろう。
変化というのは、いつも起きていて、ある不可逆な地点までこないと、変わったということに気づかない。
瀬戸内海、四万十
何度目かわからない緊急事態宣言。
出る前は、瀬戸内海付近にいた。
Instagramにポストしているから、だいたいなんとなく雰囲気は伝わっていると信じている。
宿によってはシェアハウスのような暮らしもあった。
人との交流に飢えていたのか、たいへん楽しい旅だった。
たまたま優しい人達に巡り会えたのか、日数が少なかったから嫌な部分を見なくて済んだだけなのか。
話すという行為は、心に充実感を与えるよい活動だと思う。
数日間だが、一緒に暮らしていた人たちは、とても明るくて、フレンドリーで、いい人たちだった。
不思議と、ニュージーランドに縁のある人や場所が多いところだった。
自分がニュージーランド好きだから、情報をキャッチしやすかったのかもしれない。
あるいは、ニュージーランド人を引き寄せる何かがあるのかもしれない。
瀬戸内海付近を通り過ぎた時、とても住み良さそうだと感じたんだけど、それが気のせいじゃないかを確かめたかった。
結論としては、気のせいじゃなかった。
とても暮らしやすそうだった。
自分が好む場所には、特定の生き物が多いことも気づいた。
自分は、鳥の多い...それはカラスや鳩、雀といった鳥よりも、うぐいす、イソヒヨドリや鳶といった鳥が住んでいるような場所がタイプだと。
あと、猫が多い場所。瀬戸内海付近は、猫が多かった。
犬が嫌いというわけではないんだが、猫のほうがタイプである。
鳥はもっと好きである。
今度から家さがしのポイントに加えようと思う。
四万十も、以前ちょっと通り過ぎたけど、通り過ぎるだけはもったいないと思って、数日滞在した。
日本最後の清流とは、よくいったもので、ガチの田舎があった。いい意味で、ちゃんとした自然があった。
海も近いし、川もあるし、山もあるし。ご飯美味しいし、お酒がうまい。なかなかすごい。
アクセスはとても悪いけど、その悪さが逆に防壁のようになっていると感じた。
屋久島にきますた
...日本は海洋国家である。やはり、海沿いの暮らしこそ真理。
そんな気分で、瀬戸内海付近を回っていた。ゲストハウスを回ったのは、人とのふれあいを求めていたからだと思う。
人と交流してなんぼやろ、にんげんだもの。
そんなこんなだったのに、今は完全ボッチである。
コロナのことがないと言えば、嘘になる。
どこかで気にしているのかもしれない。配慮しているのかもしれない。
今屋久島に来ている。
車とフェリーを使って来た。 はるばる、やってきた。
人里離れた一軒家を借りて、引きこもって...というより、屋外にでることも多々あるのだが、作業している。
自分のプライベートワークをやるはずだったんだが、進捗はまあ、思ったより進んだかもしれないし、もっと行けたかもしれない。
屋久島もちゃんと来たことがなかったので、おそらく2回目はもっとブーストが掛かるんじゃないかと思う。
はかどりポイントを見つけたので、もう一度チャレンジしたい。
今は雨季で、晴れることがめったに無いはずだった。
でも、意外と晴れている日もあった。
雨の日の一瞬の晴れ間がとても美しい。
いつも空が洗い清められているからなのか。チリがすくない。
温かい日にスコールが来て、雨に打たれるのも気持ちいい。
なお、湿気がすごくて、部屋の中の観葉植物は、その湿気だけで生きていけるくらい高湿度だ。
除湿機は一瞬でタンクがいっぱいになる。
縄文杉見に行けた
ある晴れた日に運良く縄文杉を見に行くことができた。
前回来たときは、家族旅行ということもあって、縄文杉は断念したのだった。
往復10時間から12時間はかかるコースである。
長野で修行を積んでいたから登れたが、あれがなかったら多分途中で引き返していたと思う。
決して楽な道のりではなかった。準備しておいてよかった。
生い茂った森林、うねる木の根、沢のせせらぎの中をひたすら歩いた。
道中、コマドリのさえずりをよく聞いた。ちゃんと聞けたのは初めてかもしれない。
聞いているとなんだか元気が湧いてくる。おまえらすげーな、と思いながら歩いていた。
シカや猿の群れにも遭遇した。人に慣れているのか、あまり逃げない。
長野のシカはもっと警戒心が強かった。
水くみ場所がたくさんあったのが本当に助かった。しこたま白谷雲水峡の水を飲んだ。
理想の家探し?
天井の高い家屋は、背の高い自分にとっては、解放感があってたいへんよい。
自分の拡張感覚というか、空間を知覚するミラーニューロンのようなものが、のびやかになるのを感じる。
狭いところに行くと、ぐっとなにか押さえつけられるような感じがしてしまうのが、よく分かるくらいには、羽根を伸ばした。
森に囲まれた家で、鳥のさえずりで目を覚ます。
うぐいす、ヒヨドリ、鳶といった鳥が多い。フクロウやイソヒヨドリが現れたらラッキーである。
蝶やミツバチ、まだ5月だがトンボもたくさんいる。
こんなところに住みたいなあと思っていた夢が、かなった心地である。
自分の持ち家ではないけど。
生まれ育った場所も、周りは民家がたくさんあったから、人間の気配というのはいつも感じていた。
おばあちゃんの家に行くと、その気配がかなり薄まって、自然との距離が近くなるのを感じる。
ここは、それ以上に自然が近いと感じた。
たぶん半径数百メートル以内に人間がいない。
そのくらいの密度でしか味わえない感情や感覚、というものがある。
(なんか人が近くにいると、ぶつかる感じ、あるよね)
広大な海を前にして、心がほぐれていくというか、仕舞っていたものを取り出しているというか、なにかがみなぎってくるのを感じる。
元気になれる。屋久島には、益救神社というところがある。
これって、たぶん屋久島の元の字なんだろう。
神主さんや巫女さんたちが感じ取ったパワーの性質が、そういうものだったのかもしれない。
benefit and relief。
いるだけで癒やされる〜という感じがする。
益救島。元気になれるばしょ。救いがある場所。
水のごとし?
人と交流すること、人とできるだけ離れて、自然のなかに身を置くこと。
自分にとっては、どちらも必要なのだと思う。まあ、ありきたりな感想といえばそうだけど。
ずっと田舎にいると、やはり多分、飽きてしまうし、一応人間という生命体に宿ったなにかなので、人間としての本能は機能している。
人と関わっていないと、バランスが崩れていくのを感じる。
一方で、人の輪の中にずっといると、今度は自然とのつながりが失われてしまい、しんどいなと感じるようになる。
1週間か2週間おきくらいに、交互に都会と自然を行き来できたら、ベストかなと思う。
自分のあり方の特定の部分を切り取れば、それはなになにっぽい、みたいになる。
「それは車の運転嫌いなんじゃない?」
と言っていた人が、
「やっぱりあなたは運転好きなんじゃない?」
と手のひらを返す。
好きだし嫌いである。
人間とは絶対矛盾の自己同一だと言ったのは、西田幾多郎だったか。
自分は定住も好きだし、移動も好きである。
老子という古代の思想家が言うには、上善は水のごとし、と。
水は海や地表から上って雲になって雨になってまた川を流れて海へ帰っていく。
そのあり方を切り取れば川になり、海になる。でも、結局水である。水は水である。
自在にあり方を変えて、それでいて地球の命の源になっている。
人間の存在のあり方も、水のようにあるのが良いのだと。
融通無碍。自由自在。
昔から憧れるあり方である。
水は流れていないと、死ぬ。
一つ所にとどまっていると、どうしてもしんどいと感じてしまう。
人間とは、いてもたってもいられない人間である。
旅こそ我が生と喝破して、一生旅して生き続けた松尾芭蕉という人も、我が国にはいたな。
旅し続ける生き方というのも、ありかもしれんとは思う。
でも、持ち家はほしいのである。
自分がとってもお金持ちだったら、家や別荘を立てて、たぶん飛行機とか使って往復生活をするんだろうなと思う。
ちょうお金持ちだったら。
お金を用いずに、こういう暮らしがどうにかできんかなと考えていた時期もあるんだが、さっさと稼いで、できるようになりなさい、という天の声なのかもしれない。
でもやっぱり感謝
とはいえ、今こうして旅をできているのは、本当いろんなご縁があってのこと。
感謝しかない。
感謝します。
最近感謝の念が強まっていくのを感じる。
ARIGATO GOZAIMASU。
馬渡松子 - 微笑みの爆弾 (幽☆遊☆白書の主題歌) - YouTube
アニメ
みたもの
- ドラゴン家を買う
- 聖女の力は万能です
- 戦闘員、派遣します
- クソゲーなんちゃら(途中で見るの止めた
- 86(同上
- 転スラ日記
- DYNAZENON
これからみるもの
- 呪術廻戦
- 不滅のあなたへ
- 蜘蛛ですがなにか
2021年3月も終わりですね
みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
もう桜も満開か、早いところだと散っているところもありますね。
以下近況まとめ
- Valheimおもろい
- 100時間は一瞬で溶ける
- Tennet難しいけどおもろかった
- やっぱり「リアリティ」の話だった
- 無職転生おもろい、小説も読んで先見てしまった
- 長野-熊本まで車で移動した
- 飲み食いしたおかげで10キロくらい体重増えた
- 色んなことが「そろそろ」になってくる
- 登山再開、キャンプ再開予定
- instagram投稿再開、note始めてみた(少し苦行
おおValheimよ
2月くらいからValheimという廃人養成ゲームをしていた。
これはいけない。ハマるしかない。
何が面白かったのか...?
そこには自由があったから、だろうか。
自由を感じることができた。
あとは、その自由感を阻害しない操作感、インターフェース。
随所にクリエイターのこだわりや愛が感じられたことも大きい。
たった5人の会社で、よくここまで作り込んだものだと感動した。
steamで2月の頭に発売して、もう600万本売れている。
かくいう私も、あれよというまに2週間くらいでプレイ時間が100時間を超えていた...
私はそれまでのすべてを忘れて、木を切り、石を集め、魔物を倒しながら海を渡り、ダンジョンを探索し、時に死んで生き返り、鍛冶場を作ったりかまどをつくったりして、畑を耕したり、釣りをしたり...して、オーディンが作った10番目の異世界ライフを満喫していた...
先月まで何してたっけ?アメリカの大統領がどうとかいう話をしていたような...
そんな世界線もあったな...
アーリーアクセスのため、まだゲームが完成していない。
10体くらいいるボスのうち、まだ半分くらいしか用意されてないので、結構中途半端なところでゲームがストップする。
それでも私は土地を耕し、拠点を作り、イノシシや狼といった獣を餌付けして飼いならして動物園を作ったりしていた...
あっという間に1ヶ月が過ぎた。
廃人後のTENNETと帰省
ゲームをすると痩せる。
理由は、飲み食いをほとんどしなくなるからだ。
あと、普段使ってない身体や脳をフル稼働するため、カロリーがすごい勢いで消費されていくのがわかる。
昨年山登りによって培った健康体は、ほとんど失われたかのようであった。
もう少し若ければ、もっとハマっていたかもしれない。あぶない。
加齢により、24時間ぶっ続けで、のようなプレイスタイルがほぼ不可能になった。
もうやることねぇなぁ、と感じたら、あっさりと辞められるようになった。
これは経験を重ねて、中毒性の高いものをストップできるようになったからなのかもしれない。
そうして廃人になって虚脱感あふれる中友人と飲んで、超ダメ出しを喰らったり、励まされたり、そんな精神状態でTENNETを見た。
まあ、面白かった。ノーランが撮りたい映画って、こういうのなんだろうなって思う。
時間が逆行するという設定を、あそこまで違和感なく撮れるのはすごい。
インターステラーが綺麗すぎたが、ああいうのでお金を稼いで、趣味の映画をとるという感じなのだろう。
その後私は実家に用事を見つけたので再び車で移動することにした。
公共交通機関で移動するのはよくないらしいので、仕方ないですね。
往復2000キロ紀行第二弾。
プチ帰省(往復2週間、2500キロ)で体重を取り戻した
一度やっているからか、二度目は脳に負荷がかからなかった。
車を運転しても、あまり疲れを感じなかった。疲れる前に、休んでいるからだと思う。
コロナ禍でもやっている飲食店は少ないもののあったので、そこでたらふく飲んで食って、をしまくった。
時短の影響で、8時くらいには会計を終えている。大変健康的だ...
久々の外のめしは、うまい。
たくさん脂肪を蓄えた上で、つまり燃料がたくさんある状態で移動できて、疲れ知らずだったのかもしれない。たべものに感謝である。
70キロを切りそうだった体重は、2週間ほどで82キロまで増加した。
やはり私に必要なのは、飲み食いすることだったのだろうか。
昨年の日本ほぼ一周以来、美味しいものを飲んで食べてということを半年近くしていなかったことに気づく。
日本には美味しいものがいっぱいある。食べないのはもったいない。
結果、舌だけ肥えて帰ってきて、自炊するのがしんどくなってしまった。
味もあるが、誰かが作ってくれるご飯、誰かと一緒に食べるご飯はおいしいもんだ。
酒もたまになら悪くない。
帰宅して自宅に設置してある懸垂バーでいつものようにプルアップをすると、重い。非常に重い。
そういえばからくに岳という山に登ったとき、たかだか2時間半程度の歩行で、へとへとになった。
あのとき私のデブ化は進行していたのだ。
恐るべし。
前月との写真を見比べて、別人のようなのでインスタグラムに写真を上げた。
数人から、お前はその方が良いとコメントを頂いた。
結構心配されるくらい頬がコケていたらしい。
新しいメディア
久しぶりにInstagramに投稿をしている。
帰省の成果ではないが、旅の備忘録として記している。
自分の名刺が無いので、名刺代わりになるなにかを模索中。
とりあえずInstagramと、noteでも始めるか、となった。
QRコードでも印刷して渡そうかなと考えている。
noteに書けないこういうダラダラした身の上ははてぶで更新していくことになるのだと思われる。
はてぶが部屋着だとしたら、noteは外行の服という感じか。
かきやすさでいえばはてぶが圧倒的に書きやすいのは、なんでだろう。
noteは...キラキラした若い人がいっぱいなイメージが有るし、ちゃんとしなきゃっていう意識がすごい強い。
いい意味でも悪い意味でも。
書いたものに値段がつくかもしれないという意識も、どこかで書く行為に影響を与えているんだろうか。
あと、自分のツラを晒して書いているので、匿名ではない緊張感がある。
人と顔を合わせない生活をしていると、表情筋が弱っていくように、文体も独特の衰えを持つのでは...と思って、ツラを晒してみた。
今んとこ、しんどさしか無い。1年かもう少し続けてみて、なにか変わるか見てみようと思う。
そろそろ...?
今年はそろそろ30代後半に突入する。
そろそろ、家庭でも持つべきか?とか、定住地を見つけるべきか?とか、考える。
まあ、ここまでこういう生き方で来てしまった以上、見つかったらラッキーくらいでいないと、色々しんどいんではないかという気がする。
自分の性格上、家庭ができたら家庭至上になってしまうことが見えている。
もっと計画を立てよ、といわれる。
しかしあれこれと計画を立てても、突然の渡航制限とかでパーになったり、人生というのはなかなか難儀なものだ。
麻雀みたいに、上がりたい役があっても、牌が回ってこなければ上がれない。
うまく「流れ」に乗りたいものである。
割とここまで、ほぼゴリ押しで来たような感があるが、どうだったんだろう。
それとも、結構流れを掴んでいたんだろうか。
これきついなあと思うことがあまりなくなった。
少し危機感を感じる。
別にこの記事が全て真とも思わないが、刺激がなくなると衰えていくのが人間のサガ。
「自由になりたい」と10代の頃から思っていた。
そういうことを言うと、周囲の知人友人家族やその他大人の皆さんには「そんなんで社会で通用するわけねえだろw」とか「ふわふわしてる、馬鹿じゃないの」とかお叱りを受けてきた。
意志というのは、言葉にするとわりとふわふわしているものであると思う。
それは感情のベクトルというか、その人の性向のようなものだからだ。
でも、その人の一生を決定づけるくらい強力なものである。
紆余曲折はあったが、自由である。
結局、そういうふうになってしまった。
自分でそういうふうにした、というより、そうなっちまった、という方が表現としてはしっくりくる。
苦労したかと言われれば、した。紆余曲折もありまくったが、苦労したから来れたというより、自分のどうしようもない意志が導いたという感じがする。
そういうのが、最近薄くなっているような気配がある。
体を動かしてないと、こういうことを考えがちだ。結局は運動不足なのかもしれない。
そろそろ暖かくなるし、山登りでも再開しよう。キャンプに行こう。冬に失われた自然とのつながりを回復しよう。
瀬戸内海沿いを走っていたら、海もいいよなとなってきた。
北欧のデジタル世界を探検していたのは、一体いつの話だったのか...
なぜ海を見ると癒やされるのか。山とは全く違う感情が身体の深い部分から湧いてくる。とても優しい気持ちになれる。
自分に足りないのは、海だったのか?
人が変わるには、環境を変えるのが一番手っ取り早いのだ。
東京の家を引き払って、瀬戸内海周辺に家でも借りようか...
フリーランスになって4年目であるが、色々体験としてインプットはあるので、そろそろ芽が出てもいいころかもしれない。
自分のやりたいことを話すと、大体ふわふわしているとダメ出しを食らうのだが、却ってたりないのは浮遊力なのかもしれない。
何かをやり通している人の話を聞くと、だいたいそれ無理じゃね?ってことを押し通している。
何かしら、産みの苦しみを味わう季節が近づいていそう、そんな気配は感じる。
意外と苦しまず、ぽんと出てくるかもしれない。
ではでは、ごきげんよう。
皆様に幸あらんことを。
2021年1月ですね
みなさんあけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
未だに長野に滞在しています。
こちらは雪こそ少ないものの、日中でも氷点下を超えないことがあります。
とても寒いです。凍ります。川、凍ってます。
部屋の中は快適です。
東京よりは寒さに強い作りになっているためです。
石油ストーブのおかげでぽかぽかです。
加湿器も大きめのを買ったので、いい感じです。
確実に、東京にいた頃より人体に優しい生活をしています。
生活にはあまり変化はないかもしれません。
これもひとえに、クライアント様と、ユーザー様のおかげ...ありがたや。
メガテックには色々思うところはあるものの、自分はそれによって生かされているというこの感覚。
複雑です。
変わったことといえば、
- BALMUDA トースターがきたので食パンを一日3枚~6枚食べるようになった。幸い滞在先周辺においしいパン屋がいくつかある。
- ネパール人の方にカレーの作り方を教えてもらって、カレーにハマっている。スパイスから作ると味わいが自分でアレンジできるし、健康的な風情がある。
- 勢い余って業務用として使われるようなミキサーをポチったおかげで、スムージーがはかどっている
- 食欲が旺盛になっており、もりもり食べている。そのおかげで少しだけ太った。ほんの少し。どうやったら太るのか教えてほしい。
- 人の恋愛模様を聞いて、慈しみの心が湧くようになった
今年こそは海外旅行行けるかなと思ったけど、大人の事情でウイルス騒ぎはなかなか混迷を極めていますね。
まあ、予想はしていたことですが、いざ諦めろと言われると、難しいものです。
どうしても気分転換するには、言語や文化、土地のアセットをまるごと変えないと済まない身なので。
...ダボス会議という毎年スイスで開催されているイベントがあります。
要は、世界を牛耳っている人たちが集うイベントなのですが。
みんなの大好きな(?)グレータさんも、スピーチをする予定だという話です。
https://biz-journal.jp/2021/01/post_200556.html
超お金持ちや政治のエリート層たちにとって、コロナウイルスは「チャンス」とされています。
つまり、権力を持った人にとっては、「都合の良い存在」であるということです。
ここから何が導き出されるかは、ものわかりのいいみなさんならおわかりになるかと思います。
これを種火にして色々書いていたら2万字超えてまとまりつかなくなってきました。
キーワードだけ書いておきます。
話をしたい人は、飲みの席ででも...つっても、飲み会自体がBANされがちなこんな世の中じゃ。。。
- 7500万人の支持者がいるとはどういうことか?
- デモをしているのが民主党の側だったら、どうなっていたか?
- なぜトランプ大統領はメディアやメガテックの目の敵にされるのか?
- トランプ支持者のリアリティ
- Qあのんが支持される理由
- メディアとリアリティ
- 独立・自由・民主主義・僭主制
- 武力・暴力
- バイデンが権力の座についた場合の予測
- 台湾海峡の火種、尖閣上陸リスク、北方領土問題
- 中国内戦、分裂の可能性
- EU分裂?
- インド-パキスタン(両国とも核保有国)
- 米軍世界から撤退?
- 朝鮮半島南北統一の場合、対馬が38度線?
- 日本人とはなにか?
- あなたのDNA
- 古語に見る日本人の世界認識
- 死生観について
- あなた/わたしのリアリティ、信念体系、認知戦争
- 私企業がコミュニケーションを支配することの意味
- スマホは"電話"ではないんです...
- 「プラットフォーム」に依存する意味
- Paler, Gab
- 宇宙人、新技術、古代文明 (アサクリではない)
- ワクチン、新薬、免疫、PCR検査、キャリー・マリス
- 仮想通貨
- おかねもちの恐怖
- 大災害
- 瞑想、禅、宗教、夢、ヨガ
- ねがい、おもい、きおく
- "エネルギー" の語源、量子力学、粒子か、波形か
- 神社、仏閣で何するの?
- マンガ
- "創造・発明" vs "マーケッティング"
- one for all, all for one
- スイス、北欧
- 環境問題
まあ、知っていたところで「だからどうした?」となるかもしれません。
世界がどうなろうと、取れる選択肢は限られているからです。
単に私は趣味として、こういうことに興味がある、という話です。
知っていることで、右往左往しなくて良くなるかもしれません。
最近久々にアニメを数本見ました。
どれも良いアニメでした。
進撃は、言わずもがなですね。
アニメは良いぞ。
魔女の旅旅は、キノの旅好きな人なら楽しめると思います。サヤちゃんかわいい。
神拾は、疲れている時に見たので、普通に癒やされてしまった。健全な時に見たら違った印象になるかもしれないと思った。
神様になった日は、ネタバレになるからあまり言えないけど、泣けました。
ルルーシュ今更かよ、と思われた方もいるかも知れませんが、やっと見ました。
声優陣も豪華だし、テンポよくストーリーが進みます。キャラデザもCLAMPが手掛けただけあって、めっちゃ生きている。
雰囲気としては、"芝居"に近いのかなと。
リアリティを求めてしまうと、"芝居がかった"セリフに興ざめしてしまうかもしれません。とても叙情的な作品です。
設定やテーマも馬鹿にできません。
私は普通に名作だと思います。50話くらいありますが、私は2日で見終えてしまいました。
なんか一つと言わず作品書いてみたいなという気持ちです。
なろう系に投稿してみるかもしれません。
あるいは、すでに投稿していたりして...(?!
あるいは、先輩諸氏を見習ってボードゲーム界に参入するのも有りかもしれん...なんて考えています。
私は今の世界の流れを見るのに、ゲームから多くの知見を得ています。
その意味では良い教材ですし、世界を観察するのは、ゲーム作成のための「取材」にもなりえます。
事実は小説より奇なり。
ゲームにすることで、今起きていることがより良く理解できるかもしれません。
とりあえず、はよ宇宙...もとい海外旅行したいです。
それがだめなら、八ヶ岳の麓に家でも作ってしまおうかしらんと考えています。
1/20 過ぎるまで、決断しづらいですが、伸ばせるだけ展望を伸ばしてみたいと思っています。
何れにせよ、今年も激動の1年になりそうです。
ではでは皆様、ごきげんよう。
2020年11月です
これは私個人のブログであり、私個人の意見、感情、感覚に基づいています。
途中で違和感、嫌な雰囲気や気持ちを感じたら、その瞬間にこの記事を見ることをやめてください。
ここ半年のまとめ
COVIDネタ追いまくっていたら周回軌道を外れていた
1ヶ月位で追うことに意味を見いだせなくなって、自然や宇宙の話とか、今までの歴史とか追っていたら、視点が変わっていた。
(あの時仕入れたパースペクティブやシナリオラインから、世界はほとんど変化していない。)
お家時間がもともと多かったのが更に増加して、内省的になり、一度メンタルリセットが発生。
無性にサンスクリット語直訳系の仏典を読みたくなって読んだりしていた時期がある。仏教スゲエ、と改めて思った。
SNSからいい影響を受けなくなったので、痛みを伴いつつ「外す」ことをした。
自然の近くで暮らすと、とても自分の心が穏やかになることに気づいた。
内省的になった結果
食生活変更 => 肉魚を控えるようになった => 断食みたいになる => 15キロぐらい痩せる => 流石に行き過ぎたので少し戻す => いい感じになる
身体の感覚に基づいて食事を柔軟に変更できるようになる=> 酒を飲まなくなる => 嗜好品(コーヒーとか) もあまり必要としなくなる
=> 穀物野菜系中心の生活 * iHerbでプロテイン、たまに身体が欲したら肉・魚
セルフカウンセリング・コーチングのようなことを続けた結果、他人のメンタルに多少いい影響を与えらるような実感を得た。(基本的には、相手が持っている資質が開花しているだけ、ではあるが)
あと、自分の直感を大事にするようにした。大事なものは、誰かが作ったリアリティの中にはない、というべきか。
特に、マスメディアが発している情報には、かなり気をつけていられるようになった。
あれだけハマっていたネトフリやゲーム配信も、全く見なく鳴った。SAOアリシゼーションくらいか?まともに見たのって。
その他幼少期のトラウマっぽいのがいっぱい出てきて、結構しんどかった。そういうものを手放すことや、解放するスキルを得た。
抑えていた己の弱さのようなものとも、相当直面することになった。
ときに激しい怒りや悲しみといったものが吹き出てきたが、結局最後に残ったのは、感謝、とか、敬意、とかいう、そういう心だった。いや、本当に。
ネガティブなものを持ち越したくねえ、と本当に思ったからだろうか。
あたかも、嵐の吹き荒れる山の中を進んで、山頂は晴れ渡り、空気は澄んで、太陽は燦然ときらめき、なにも遮るもののない世界が待っているかのようだった。
下山するときには、嵐は終わっていた。
GOTO トラベルということなので旅した
自粛しろなのか、自粛を自粛しろなのか、まあ好きに選べということだと理解したので、私は旅をした。
- 紀伊半島: 高野山、熊野大社、伊勢神宮、曽爾高原
- 車を貸してくれるというので熊本の両親の家から長野まで引っ張ってきた(親父殿感謝
- 新潟: 村上、八海山、山形: 鳥海山、鶴岡、酒田、秋田: 秋田市、田沢湖、青森: 十和田湖、奥入瀬、蔦温泉、弘前、岩木山、白神山地、青森市、恐山、尻屋崎、岩手: 普代浜、浄土ヶ浜、盛岡、陸前高田、宮城: 気仙沼、仙台、福島: 五色沼、会津、郡山、大玉村、栃木: 那須高原、千葉: 鹿島神宮
- 北海道: 函館、洞爺湖、羊蹄山、毛無山、小樽、稚内、宗谷岬、枝幸、興部、紋別、サロマ湖、能取湖、能取岬、北見市、知床半島、羅臼峠、竜神崎、根室岬、根室市、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、襟裳岬、帯広、富良野、旭川動物園、旭岳、支笏湖
- 四国: 阿波温泉、淡路島(兵庫?)、室戸岬、四国カルスト、金毘羅さん、伊予浜、八幡浜
- 九州: 別府、由布院、大観峰、高千穂、天岩戸神社、唐津、博多、平尾台鍾乳洞
- 中国地方: 秋吉台、尾道、
- 滋賀大津、石山寺、岐阜飛騨高山
写真はたくさんあるので、Instagramに上がっているものを見てくだされ。
2万キロ近く走ったのか?まあ結構やったな...タイヤがぼろぼろになって、途中で交換したのはいい思い出である。
一通り旅が終わると、疲労が怒涛のようにやってきたので、本気で身体をいたわった。
山登り・温泉・野菜・米・水・パン
登った山としては
霧ヶ峰八ヶ岳が家から近いので、よく登っている。温泉も多いので、開拓が捗っている。
長野は野菜がたくさんとれるので、菜食中心食生活を整えたいなら、いっぱい美味しい新鮮な野菜が安く揃っている。
水も綺麗であるし、米どころでもあり、うまい水で炊く新米はたいへんおいしい。
地元の小麦を使ったパン屋がいくつかあって、どれも大変美味である。
仕事の都合や買い物等、都心に出たいときは、車で2-3時間もあれば行けるので、特に不便は感じてない。
健康になるには、良い場所である。
酒好きな人には朗報として、日本酒、ウィスキー、ビール、ワインと、酒の宝庫でもある。
地酒がおいしい。松本まで行けば、美味しい居酒屋がいっぱいある。
エリアによるだろうが、移住者が結構いるところだと、そこまで田舎独特のキツさみたいなのも、感じない。
リトリート
そんなにたくさんではないが、マッサージやら、セラピーなど興味を持ったものを受けてみた。
これもマーケットであり、立派に経済であり、取材的な感じにもなっている。
あと、自分の今の暮らしが、半分セルフリトリートのようなものであることにも気づいた。
朝から高原へ行って、コーヒー飲んで、散歩して、帰って、仕事して、温泉行って、夜は本読んだり、座禅や瞑想したりして、寝る...うん、書いてみると悪くないな?
以前奥多摩でただ川下りをしただけで身体のそこからみなぎるエネルギーというか、超リラックスできたのだが、こういうリラックスや平安といった感情が必要な人って多いんじゃねえか?
と思い、自分もなにかそういうフィジカル的にも、感情的にも、メンタル的にもエネルギーを回復できるような、そういうナニカ、ができないか、と漠然と考えるようになっていた。
なので、まずは自分が癒やされて見ないと、と思った、ということはある。
自分が癒やしを実感できないものを、他人に提供できるわけないから。
2019年の2月にテカポで得た不思議な安心感、偉大なものに抱かれる感じとでもいうんだろうか、そういうあたたかい感情、感覚、エネルギー?のようなものを感覚できるような「場」なのか、「体験」なのか、そういうものを生み出せたら...
...とどこかで考えていたのか。(ニュージーランド、また行きたい...)
振り返ってみたら、完全に"取材"になっていたことに気づいた。今、書いていて、気づいた。
これを日本でやるかは、正直わからない。そこそこ広大な土地が必要という気がする。
どこかアメリカの西海岸...(今は大変治安が悪いと報道されているが...)に蕎麦畑とか茶畑でも作って、リトリート施設でも運営したいものである...
できないことを探すのは、大変容易であるし、この「お先真っ暗」感のある中で、以下に自分の願望を育てるかというのは、一つゲームのような感じがする。
日本の食事や文化は、かなり洗練されたものが有り、それを必要としてくれる人がいるところに届けたいという、以前言っていたビジョンも、また蘇ってきた。
日本の中にいると薄れていくこの希少さを、旅を振り返ることで、改めて思い出している。
先行き
不透明なのは、今も昔も変わらん気がするが、結構大きくシナリオが変わりそうだなという気配がある。
米大統領戦の結果次第、なのだが、こういうと「え、終わったのではないの?」と言われる。
大手メディアの上では、もう「終わった」と報道している。
法律上は終わっていない。
アメリカは法治国家である。結果に納得ができないなら、法廷で争うのが、彼らの流儀である。
ブッシュとゴアの時も、最後まで争っていたことを記憶している人もいるのではないだろうか。もう20年前であるが...
メディアはバイデンを押していたが、マーケットは、トランプ大統領が再選されることを見込んでいた。
両陣営が司法で争った場合の「布陣」も、追ってみると、結構興味深い。
ロシアや中国の指導者は、「結果」が「出ていない」ので「沈黙」している。
日本の首相や外相は、祝辞を送っている。
...私が書けるのはそこまでだが、気になる人はそこから色々と探ってみると、また違った世界の見え方ができるかもしれない。
いろんな戦争の火種もたくさんある。
つい先日、アゼルバイジャンとアルメニアが停戦した。ドローンが主役の戦争であった。
なお、SNSも立派に"戦場"である。これは日本も例外ではない。
世界を見ていると、日本ってつくづく強運というか、新型風邪でほとんど死者でてないし、軍隊まで出動して民衆の行動が制限されたりとかもないし、気がついてみたら一番自由が保証されている国だった...みたいになっている。
世界はロックダウンを強行する中、GOTOトラベルしちゃうし。
でも、病死はしない日本でも、自殺者が増えていることは、悲しいというか、一番あってはならない死人の出し方をしているな、という気もする。
新型風邪で死ぬか、経済苦で死ぬか、不安で死ぬか...ウーン。
ニュース見ていたら、「お先真っ暗」になるわな...という気がする。
「何を選ぶか」ということは、日々問われている気がする。
本当に、どんな言葉を使うか、何に思考のリソースを割くか、ということで、人の一生は大きく変わってくる。
暗いことに念をはせたら、暗いものを拾い集めてしまう。明るいことに念をはせたら、明るいものが不思議とよってくる。
類友の法則とでも言うのだろうか。
明るいことを拾い集めるのが至難の業のようであるが、それでも私は、明るいことを拾い集めていくようにしたいと思う。
「Choose wisely, Choose Narrative, Man Chooses. 」これらはゲームとYoutubeから学んだ言葉である。
とても含蓄が深いと感じている。
今後
とりあえず、海外旅行行きてえ!
...の前に、日本47都道府県と、この長野を遊び尽くすことが先決かな。
日本でもいいからとりあえず、賃貸じゃなくて家、戸建て、一軒家、ほしい。山の麓、森の中、小鳥の鳴き声、静寂な時間、薪ストーブ...というイメージ。
ではでは、最後までお付き合い頂いた方、ありがとうございました。
皆様に幸あらんことを。
2020年7月です
まとめ
- 35歳になった。 アラフォーじゃん...
- 長野に少しの間仮住まいすることにした
- 15kg痩せた
- 在宅時は菜食、呼ばれれば肉も魚も食うし、酒もOKというスタイルにすることにした
- 車で熊本から長野までマラソンした
- 熊本の水
- 全国呼ばれれば馳せ参じます
年齢
ついに来てしまったという感じがする。
人は心から老いていくから、心は若いママでいたいと思う一方、年相応というか、良い年のとり方というのも憧れではある。
自分の行動を見ていると、まだまだ「大人」というものには遠い気がしてしまう。
弥山(広島)、大山(鳥取)、や鞍馬山(京都)をビーチサンダルで登るくらいには、無謀感が漂う。
(別になめているわけではない。足元に気をつけられるようになりたくて、割と意図してやっていた。)
家族を持てばおそらく変わるのだろうか...一回無理やり結婚でもしてみたらいいんだろうか。。。相変わらず独身を満喫中...。
こう、めちゃくちゃ気品のあるバーのマスターだったり、いろんな歴史が流れている育ちの良い人だったり、そういう人と接すると、己の至らなさを自覚する。
彼・彼女らの光に照らされて、おまえは何者なのか、と誰何されている気がする。
そこで動じない、気圧されない、私はこのようなものである、と宣言できるような存在になりたいものだ...。
この辺に関しては、またどこか別なところで書き上げる予定。
長野
なんで長野やねん、という話なのだが、
- 海外に行けないので、代替プランがほしい
- 自然が恋しいので、自然に近いところにしばらく住みたい
- 荷物が増えすぎて収まらないので、広い部屋を借りたい
- 山、湖のそばにいたい
- 東京に仕事の拠点があるから通える距離がいい
- 車で生活できるところ
みたいにして探していたら、長野になった。
部屋が狭すぎるのと、騒がしい人が引っ越してきて落ち着かなくなったから出ていきたいという気持ちが強くなったことが直接のきっかけで、それを後押ししたのがコロたんだった。
ここまで日本で自粛ムードでなければ、4月あたりからしばらくのんびり国内を旅しながら...というのも考えていたのだが、それも難しくなった。
というわけで、思い切ってゴリッと拠点を増やしてみた。
今の所、とても静かで、のどかな日々である。寂しいといえば、寂しさは半端ない。
生活も不便である。
ちょっと気の利いたものを買おうにも、周りにはそのようなものを取り扱っている店はない。
したがって、基本的に通販になるのだが、東京だと翌日には届いていたものが、2日3日とかかる。
ごはんも、友人が少ないからといって、一人でご飯に行かないわけではない。むしろ、一人飯は好きである。
が、飲食店も...
まあ東京に行けばええやろ、という気持ち。
地元で取れた新鮮野菜やら家庭菜園やらを試みようと思っているので、そっち方面を開拓したい。
梅雨があければアウトドアのシーズンが待っており、そうなれば我らの天下よ、という期待で胸を膨らませている。
その前に水害で色んなものが流されませんよう、諏訪大社にお参りする日々。
体重
習慣が変わったと言っていたが、結果15kgやせて、見た目も変わった。
Google Photoの画像分類では、しばらく別の人間にカテゴライズされていた。
睡眠時間が短縮され、超朝方人間になり、肉も魚も食わんという感じになっていたが...
2ヶ月くらい過ぎた頃から、さすがに栄養失調気味なんじゃないかと思い始め、食べる量を増やし始めた。
タンパク質が足りてなかったようで、プロテインを補給したりし始めると、徐々に肉が戻ってきた。
それでも、筋トレしにジムに通っていた頃のような、ムチムチ感はない。
そのかわり、長く歩けるようになった。山登りをしていても、あまりバテないし、以前より登山スピードが上がっている気がする。
菜食、肉食
菜食中心にするメリットは、食費が安く済む、内臓への負荷が減ってエネルギー効率が上がる、意識が冴える時間が長くなる、寝付きが良くなる...などが挙げられる。
家畜が可愛そうみたいな罪悪感だとか、仏教のような宗教(というか哲学?)への傾倒も、無いわけでは無いが、自分の体調がよくなるから、ということが直接の動機である。
何かを食すということは、日本に生まれたからと言うこともあるが、一種の儀式のようなものなんじゃないかと思うようになった。
それを無意識でわかっている人が作る料理は、やはり食べるとただのマテリアル以上のものを摂取している、という気がする。
だから、自分で作るものにはできるだけ気をつけたいし、その素材がどこからきて、どこへ行くのか、というこだわりを持った人が作るものを食べたいし、自分もそのように心がけたい。
せっかく自分の目の前に置かれて、食べ物として扱われるのだから、せめてそのくらいはすべき...である。
車
これもありがたい話で、不要な車が実家に一台余っていたので、売りに出される予定だったものを、借り上げることになった。本当にありがたい。
4万キロほど走っているが、車の状態はとても良い。
NIS●ANのセ●ナだが、会社といい車の名前といい、なにか因縁めいたものを感じる。
某サラリーマン時代に少しお世話になった会社で、セ●ナさんというのは、スイスでお世話になった友人の名前である。
大事に乗らせていただきます。。。伏せ字にしたのは、特に理由はないです。あるかもしれません。いや、ないです。たぶん。
熊本ナンバーで激走しているやつがいたら、私です。暖かい目で見守ってください。
で、1000kmくらいを縦断したわけだが、途中泊まりながら、各神社や仏閣に参詣(...というなの観光?) しつつ移動した。
途中、寄り道を結構したが、どこも空いていて、観光業、飲食業などの産業はかなりつらそうだった。
本当は、日本全国感謝御礼の旅をしたいんだが...。
今回寄り道して印象に残ったのは阿蘇(地元)、広島(宮島・広島市)、書写山(姫路)、そしてやはり京都...(京都は、別格)。
阿蘇や京都は自明だとして、広島にはじめていったが、水も食材も景色も、大変よかった。
「〜じゃあ」というなまりがなんとも心地よい感じがする。
書写山はラストサムライのロケ地に選ばれた場所なだけあって、凄まじく絵になるところだった。姫路に住みたいとは、思わなかったが...
道中お世話になった方々、心より御礼申し上げます。
熊本・水
肥後は火の国と言われるが、水の国でもある。
水資源が豊富で、地下水を使って水道水は提供されている。
昔から水害も多く、小学生くらいで市や県の歴史を習うが、大きな水害があったことは教科書にも書かれている。
地名も、水にちなんだ名前が多い。小高い丘のようになっていたり、高低差もあることから、埋め立てたりしてできた土地が多いんではないかと思う。
(今住んでいる場所の近くも、昔は湖の一部だったところを埋め立ててできた場所らしい。)
幼い頃は地元の河川が溢れてしまったこともある。近くには水神を祀ってある神社や石碑のようなものが結構あり、きっと水とは縁が深かったことが伺える。
道路が川になったのは、今となっては思い出の一つ...。
球磨川はとても綺麗な川だが、度々水害にも悩まされている。
幼い頃の報道では、川辺川ダムはもう作られることが決まって、沈む村落があるみたいな番組があっていた。
2008年の民主党政権下で中止になってしまった。
もし、ダムを作っていれば、マシだったんだろうか...?
治水の方法は、ダムだけではないと思うが、ダムを作ろうという動機そのものは、水害をなんとかしたいという思いだったんだろう。
現県知事も、治水をしたくなかったわけではあるまいし、美しい自然は、資源にもなる。
その土地で長い間暮らしているひとの歴史も、大事にしたいだろう。
誰かに悪意があったわけでは、ないかもしれない。犯人探しをし始めたら、きりがない...。民●党政権の背後には、悪意があったかもしれないが...
第一、氾濫の危険があることがわかっているなら、そこに住む事自体が問題にならないのはなぜなのか。
その流域に住む人の財源だけでまかなえるインフラであれば良いが、そうでないとしたら、誰が負担するのか...他の区域の人間とて、何かに財源を提供している...
そう言いながら、私は湖の近くに居を構えているわけだが、人が住める場所が少ない日本という国土で、良い場所を選ぶのは、実はとても大変なことなのかもしれない。
祖母は土砂災害と隣り合わせで生きていた。でも、どこかそのようなものありきで生きていたようにも思う。
「んまあ、そん時はそん時たい」と、言っていたような。
人間とて自然の一部...死は、生きることの中にある。そういうことなんでしょうか...
最初から自然に降伏しているわけでも、無理やり支配しようとしているわけでもない、なんというのだろう、そういう態度があった気がする。
「日本人」とくくることは乱暴かもしれないが、日本人にとって神々というのは、人間の支配者、延長やオリジンというより、どこか「他所」のものであり、「祀る」というのは、心の支えとするような精神とは、どこか異なるんじゃないかという気がする。最近、神社仏閣を巡っていて、そういうことを考えるようになった。
キレイな場所に住みたいと思うと、水害や土砂災害、津波や噴火の心配がある。そうでなくても、平野部でも、震災の危険と隣合わせである。
いやはや、実に難易度の高いところで、我々の先祖は暮らして、歴史を紡いで来たのですね...
正直熊本に今行ったところで、できることは殆どないと思うが、人がある程度出入りできるようになったら、ボランティアにいってなにかお手伝いしたいと思っている。
以上、なんだかまとまらなかったが、久々の投稿ということで。。。
東京には普通にまだ本拠地があるので、しょっちゅう行く予定です。飲み会とか誘ってください。
ではでは、また。